世界中に数あるパーカッションの中で最も有名だと言えるのが「ドラムセット」です。意外にもその歴史は浅く、まだ100年ほどしか経過していませんが、様々な進化や発展が繰り返された濃密な100年となっています。ドラムセットの歴史と発展を音楽ジャンル、プレイスタイルなど複数の視点から三部に渡り紐解いていきます。この記事ではまずドラムセットが誕生す流までの歴史を追ってみましょう。
第二部:
知っていると得する豆知識!ドラムの歴史を振り返ろう!《第二部 ドラムセットやプレイスタイルの発展》
第三部:
知っていると得する豆知識!ドラムの歴史を振り返ろう!《第三部 クロスオーバーによる更なる進化》
ドラムセットの選び方:
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19世紀(1800年代)後半 ├ ドラムセット誕生前の演奏形態 └ ダブルドラミングというプレイスタイル 1900年〜1930年代 ├ ドラムセットの誕生はキックペダルと共にあり ├ 演奏にも大きな影響を与えたハイハットの誕生 └ スウィングジャズの流行、今やレジェンドと呼ばれるドラマー達の登場
ドラムセットが開発される以前の演奏形態は現在のブラスバンドやマーチング、オーケストラでも見られるように、バスドラム奏者やシンバル奏者など楽器毎にパートが決められていました。1840年代になるとキックペダルの試作機が開発されていたとされていますが、そこまでポピュラーになることはありませんでした。
南北戦争が終戦した1865年以降は、軍隊音楽で使用されていた楽器が市場に出回ったことで、民衆(特に黒人)の多くが楽器に触れることが可能になり、当時流行っていたマーチと黒人音楽の融合によって生まれたラグタイムと呼ばれる音楽がバンドで演奏されるようになります。
※「スコット・ジョプリン」氏のアルバム「Ragtime」が有名。
その中で1人の演奏者が複数のドラム、特にバスドラムとスネアドラムを演奏する「ダブルドラミング」と呼ばれる奏法が確立され、以降は主流のプレイスタイルとなっていきます。
※当時のダブルドラミングを再現しています。この動画のドラマーは左利きのため左手でバスドラムを演奏しています。
1870年代にはバスドラム上部とペダル部分がシャフトで繋がっている「オーバーハングペダル」と呼ばれるキックペダルが開発されましたが、使い勝手の悪さから使用する演奏者はあまりいなかったようです。
この頃から1930年代までドラムセットは「トラップセット」、ドラム演奏者のことは「トラップドラマー」と呼ばれていました。カウベルやテンプルブロック(木魚)などの楽器をセットに組み込むのが主流とされていたようです。
※元「Journey」のドラマー「スティーブ・スミス」氏による1930年代の「Slingerland」のトラップセットを使用したドラムソロ
※当時使用されていたペダルの解説をしています。
多くの場合、「ドラムセット」の誕生は「キックペダル」を用いてバスドラムを演奏した瞬間だと言われています。
ルイジアナ州ニューオーリンズには奴隷であったアフリカ人をはじめとする様々な人種が混在しており、多くの文化が混ざり合っていました。その中でもスネアドラム奏者であった「ディー・ディー・チャンドラー」氏が木製のペダルを考案し、初めてバスドラムを足で演奏した人物(正確には初めて民衆の前で演奏し、人気を得たという部分において)とされています。この時からペダルのことをバスドラムを足で演奏する「キックする」ことから「キックペダル」と呼ばれるようになります。(現在はドラムペダルという呼び方も主流です。)チャンドラー氏がこの奏法をとった理由に関しては諸説ありますが、「ギャランティー欲しさに1人で2人分の演奏をするため」や「バスドラム奏者と喧嘩をして1人で演奏せざるを得なくなったため」などの理由だと言われています。しかし、この一件からチャンドラー氏は一躍人気ドラマーとなり、この木製ペダルは1904〜2005年まで特許も取得していました。
その後、1909年には「ウィリアム・ラディック」氏とその弟である「テオバルト・ラディック」氏は、特許を取得したワールドスタンダードとなるキックペダルの開発と同時に、最も有名なドラムメーカーの1つである「Ludwig」を設立、商業的にも成功を収めました。(ドイツのドラムメーカーである「SONOR」はLudwigよりもいち早く、1900年にキックペダルを開発していますが、まだドラマー達が実用するに至りませんでした。)
この「The Original Ludwig Pedal」は現在リリースされているオーソドックスなキックペダルとほとんど同じ構造、形状をしており当時のドラム業界に衝撃を与えたことは疑う余地がありません。また、キックペダルの元祖は「ダイレクトドライブ」ということも豆知識として覚えておくと良いでしょう。
VIC FIRTH Official Siteより引用
※「The Original Ludwig Pedal」
VIC FIRTH Official Siteより引用
※先端が丸い金属部分はバスドラムに取り付けたシンバルを鳴らすために付けられています。
1890年代にはミシシッピ州クラークスデールなどのアメリカ南部で奴隷として働かされていた黒人達によって演奏されていた霊歌やワークソングから生まれた音楽がブルースと呼ばれるようになり、その後1908年にはニューオーリンズにおいて初めてブルースの楽譜も誕生したとされています。
1910年代のニューオーリンズではラグタイムやブルースの影響を受けたシンバルレガートに代表される小気味良いリズムが特徴的なジャズ(ニューオリンズジャズ、ディキシーランドジャズ)が誕生し、ドラマー達はドラムスティックをワイヤーブラシに持ち替えるようになっていきます。この頃は金属製のハエ叩きをブラシとして使用していたようです。1917年にニューオーリンズのジャズバンド「The Original Dixieland Jazz Band」が録音した曲が最初の公式録音されたジャズとされています。
1920年以降はジャズが音楽ジャンルとして確立され世界中に世界中に伝播していくと共にドラムセットの発展にも大きな影響を与えることになります。また、テキサスなどアメリカ南部の地域において白人のフォークソングとしてカントリーが主流となり、1930年代にはブルースとそれまでの教会音楽、そしてクラシックが融合し、新たな教会音楽としてゴスペルが生まれます。これらは後のロックンロールやロック誕生に大きな影響を与えた音楽ジャンルです。
※様々なラテン音楽のリズムを紹介しています。
後に様々な音楽と融合し、新たなジャンルを生み出すきっかけとなるサンバ、ボサノバ、サルサ、ルンバ、カリプソなどの中南米で生まれたラテン音楽は1910年頃に形になりました。中南米の様々な国の文化や楽器によって異なる独特のリズムが特徴的な音楽は現在でも多くのドラマーが取り入れています。
SONOR Official Siteより引用
※SONORが開発したキックペダルとソックシンバル
1920年代に人気を博していたジャズドラマーの元祖とも言われている「ベイビー・ドッズ」氏は演奏中に左足を動かしてリズムを取っていました。観客として見ていたLudwigの創業者である「ウィリアム・ラディック」氏がその動きを演奏に利用できないか?とドッズ氏に相談したことからハイハットの前身となる「ローボーイ(ローソック)」が開発されました。ドッズ氏は1918年にトランペット奏者である「ルイ・アームストロング」氏と演奏していた際にサイドシンバル(現在のライドシンバル)をスティックで叩く実験をしていました。これがライドシンバルでリズムを刻む先駆けとなったと言われています。
※当時使用されていた実際のローボーイ
「ハイハット」の登場により使用できるシンバルのサイズや演奏の幅が広がったため、その後「ローボーイ」は鳴りを潜めてしまいます。しかし、楽器や演奏の多様化が進んだ現代において必要性が高まり、特にカホニストやギタリストなどの楽器プレイヤーが使用できるペダルとして甦りました。
DW / DW-5500LB
1920年後半にはローボーイは改良され、シンバルを高い位置にセットし、スティックやブラシでも演奏できるようにした「ハイハット」が誕生します。現代のオーソドックスなドラムセットの原型が誕生した瞬間です。ローボーイは9インチほどの小型シンバルしかマウントできませんでしたが、ハイハットは現在と同様の14インチのシンバルが使用されていました。
※開発当初のハイハット。ローソックに対してハイソックと呼ばれている場合も。
当時タイムキープをするために演奏されていたのはバスドラムでしたが、「All American Rhythm Section」の一員だった”パパ”ジョー・ジョーンズはハイハットを2拍4拍で踏むタイムキープを初めて行ったとされており、その後ジャズにおいてのタイムキープはハイハットを用いることが主流となっていきます。また、ジョーンズ氏は初めてブラシを使用して演奏したドラマーとも言われています。
ハイハット誕生には諸説あり、ビバップの伝説的なドラマーである「フィリー・ジョー・ジョーンズ」氏はハイハットを発明し、2拍4拍でアイディアを生み出したのは「John Kirby Sextet」のドラマーだった「ウィリアム・オニール」氏であると語っていたとされています。
1870年代〜1930年代まで「トラップセット」と呼ばれていたドラムセットはバスドラム、スネアドラム、ハイハット、ライドシンバルに加えタムタム、カウベル、ウッドブロック、テンプルブロック、太鼓などをセットしており、トラップスタンドやコンソールと呼ばれる専用のスタンドも開発されています。
当時のドラマーの仕事は演奏だけでなく無声映画の伴奏や効果音を提供するといったこともやっていましたが、1930年代に入りトーキーと呼ばれる音声付き映画が普及したことにより、効果音を担当していた多くのドラマーが職を失ったとされています。
そんな中でも当時重要視されていなかったポジションであったドラマーの地位を高めるスター達が誕生します。1936年にクラリネット奏者、そしてビッグバンドのリーダーを務めていた「ベニー・グッドマン」氏が発表した「Sing Sing Sing」が人気を博してからスウィングジャズが流行し、ビッグバンドのドラムを担当していた「ジーン・クルーパ」氏や「バディ・リッチ」氏、後述する「ルイ・ベルソン」氏などが台頭を表します。
※《左》後年のロックドラマー達の憧れの存在「ジーン・クルーパ」氏《右》スウィング界の帝王「バディ・リッチ」氏
この頃からトラップセットからカウベルやテンプルブロックなどは外され、タムやフロアタムをセットし、ドラムセットと呼ばれるようになっていきます。バスドラムの口径が24インチと大きく、逆に深さは14インチと浅めなのもこの時代のドラムセットの特徴の1つです。また、1929年には「Zildjian」社がアメリカのマサチューセッツ州クインシーで「AVEDIS ZILDJIAN(現在のZildjian社の正式名称)」社を立ち上げたため、シンバルのバリエーションが増えたこともセッティングに影響を与えました。
第二部に続く:
知っていると得する豆知識!ドラムの歴史を振り返ろう!《第二部 ドラムセットやプレイスタイルの発展》
第三部:を読む
知っていると得する豆知識!ドラムの歴史を振り返ろう!《第三部 クロスオーバーによる更なる進化》
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